すくなくとも、2015年現在、「同性愛」は概ねニュートラルな価値を持つ言葉になっているの*1に対して、「小児性愛」は否定的な価値を持つ言葉になっている。ので、主語を「一般大衆」とするなら、小児性愛嫌悪が認められるのは「小児性愛」だから、で終わりに。
なんていうか、「無菌室の議論」なら、ペドフィリアもネクロフィリアも、一般的な異性愛者も等価だって言えるのだけど、ペドフィリアは、少なくとも「自己決定権を持たない小児」を対象にする時点で、お互いに自己決定権を持つ個人同士の恋愛を志向する場合と違う雰囲気はある。「志向に罪はない」あたりを認めたとしても、「(志向の)表明」「行動」は認められないだろうな。