自動車はなぜ必要か

自動車は何故必要なのか?(上記URLより改変)
ご質問ありがとうございます*1。最近また自動車が役に立つのかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は国土交通省の通知*2という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の本文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。
 それはともかく、「自動車は必要か」「自動車はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。
まず、必要性が問われているものが「自動車そのもの」なのか「日本における自動車輸送」なのか「企業における自動車研究」なのか「企業における自動車労働者の雇用」なのか、さらにその上に「日本における」がつくのかつかないのか、あとは企業といっても元請け大企業に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影響してくるでしょう。
次にどういう分野を念頭におくかもはっきりさせておいた方がいいでしょう。自動車といっても多種多様で、どいういう意味の必要性について論じるにせよ、自動車と呼ばれる領域全体において状況が同じということはまずないと思います。伝統的な分野として「乗用車」「貨物車」「軽乗用車」があって、「スポーツカー」や「レーシングカー」も自動車に含めることがあり、トヨタ自動車を考えてもこのカテゴリーにうまくおさまらない「消防車」「救急車」「タクシー」などもあり、「バス」のような公共輸送分野もあり、また、小松でやられている産業系の重機など、自動車の方法論を共有しているいろいろな分野がさまざまなところで研究・教育されています。もちろん、このおおまかな分類の下位分類の間でも状況は大きくばらつき、一概の議論はできないでしょう。特に、「日本の路上で」の必要性を論じる場合には、これらの多くについて「日本」がつくジャンルとつかないジャンルで状況に大きな違いがあるでしょう。
第三に、解答のオプションをもう少し広げた方がいいと思います。「必要である」「不要である」というオプションは必要ですが、それ以外にも、「あった方がいい」「ない方がいい」という答え方も当然あった方がいいですし、「X円までの出費であればYは存在した方がいい」というオプションも、それほどコストをかけずに準備できるなら存在した方がいいでしょう。また、最近の議論では「自動車ばかり攻撃するけど、あちらの分野はどうなんだ」みたいな議論も見かけます。「ヘリよりは必要」「鉄道にくらべれば「あった方がいい」度が低い」などの、比較型の解答も許容しないよりした方がいいかもしれません。
第四に、必要性の話をする場合、何のための必要性を考えるのかをはっきりさせないと、話が通じなくて大変です。
まずすぐに思いつくのは「人類の繁栄」ですね。当然そこで「物質的に繁栄したらそれでいいのか、それとも精神的な繁栄も求めるのか」など、そもそも「繁栄」の概念をどうとらえるかの意見の食い違いが出てくると思います。「自動車は精神を豊かにするからおろそかにしてはならない」というタイプの議論はここできちんと吟味すべきです(自動車の与えるタイプの精神の豊かさは本当に人類の繁栄の一つの要素と見なしてよいか、それを追い求めることで人類の繁栄の他の要素への悪影響はないかなど)。そこはまさに論戦を戦わせるべきところなので逃げてはだめです。ただ、ある程度事実誤認や混乱した議論などを整理した後でも、この件について決着が容易につかないのは交通の歴史が示しているので、お互いの立場を確認した上で次の論点に進む方が実り多い議論ができるでしょう。
次に思いつくのは「日本国の繁栄」ですね。「人類の繁栄という観点から見て日本国は繁栄するべきかどうか」という問題も付随的に発生してきてややこしいですが、とりあえず日本国の繁栄は目指すべきゴールであるということを受け入れている論者の間では、自動車のそれぞれの分野の{存在自体、大学での教育、大学での研究、大学での雇用}が{必要、あった方がいい、コストX円までならあった方がいい}かどうかを日本国の繁栄への貢献という観点から論じることはできるでしょう。ここでも日本国の繁栄のイメージは人によって多種多様だと思いますが、「人類の繁栄」についての議論と同じく、単純な事実誤認や議論の混乱を整理する上では、ちゃんと議論を戦わせた方がよいでしょう。国内総生産が多いのが日本の繁栄なのか、失業者が少ないのが日本の繁栄なのか、生活満足度の数値が高いのが日本の繁栄なのか、国際社会において名誉ある地位を占めるのが日本の繁栄なのか、そしてそれぞれの項目に自動車のそれぞれの分野の{存在自体、大学での教育、大学での研究、大学での雇用}はどういう形でどれくらい貢献するのか、論ずべきことは非常に多岐にわたると思います。
何のための必要性、という話の第三のオプションとして、「自動車製造会社の繁栄」も当然あるでしょう。というより、企業を運営するスタッフにとっては、企業の運営上の判断の最終的な根拠はここにたどりつくでしょう。企業の繁栄についても上の二項目と同じで、いろいろな尺度で繁栄を考える人はいます。その中には、「人類」や「日本国」の繁栄の基準となったものが、規模縮小したような尺度もあるでしょう。「財政基盤がしっかりしているのが企業の繁栄」「顧客満足度が高いのが大学の繁栄」など。他方、「人類」や「日本国」の繁栄を考えていたときにはあまり出てこなかった視点として、たとえば「優秀な技術を全世界に輸出が繁栄している企業」といった答えも出てくるでしょう。
何のために、という議論のもう一つのオプションとして、「自動車はドライビングプレジャーそれ自体のために存在するのであって、何かのために存在するのではない」という立場もありますね。走り屋の内在的価値説というやつです。内在的価値説の是非も論じるといいとは思いますが、これはもう最初から議論が平行線になるのがわかっているので、それほど深まらないかもしれません。しかし、そういう価値観を持つ人が一定の比率以上でいるならば、社会的な意思決定においてこの価値観は無視できないものになると思います。
と、これだけ多様な問題なので、ご質問に一言でお答えすることはちょっとできかねます。


「うっせー。なにグダグダ言ってるんだ。とにかく、自動車は要らないんだよ。自動車が無いと動きが取れない?タクシー呼べばいいじゃないか。パンが無ければケーキをお食べ」
の予感。

*1:質問されていませんが

*2:ない