デフレの弊害を記述しない歴史教科書

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ところが日本の歴史教科書はデフレ経済の弊害をほとんど記述していない。むしろ「正徳の治」によるデフレ経済への逆戻りが、インフレ経済からの正常化という表現になっている。歴史教科書では江戸時代のデフレ政策を改革(亨保、寛政、天保の三大改革)と呼んでいる。たしかに改革と名が付くと今日の人々はプラスのイメージを持つ。

しかしこれらの改革は途中でことごとく頓挫している。例えば八代将軍徳川吉宗の亨保の改革では、当初、金の含有率の高い亨保小判が造られたが、後に金の含有率を低めた小判に改鋳された。デフレ政策が行き詰まり、インフレ政策に転換したのである。

吉田さんは荻原重秀の改鋳を高く評価しておられる。デフレの江戸の経済を浮揚させ、経済活動を活発化させたからである。ただ吉田さんも、江戸の町民が荻原重秀の業績を身を持って知ったのは、重秀が失脚した後と言っておられる。新井白石のデフレ政策によって酷い目にあってから町民は目覚めたのである。

商売人の立場からは、常に景気が良い方が好ましいことははっきりしている。しかし農業に基盤を置く江戸幕府武家社会にとっては、行き過ぎた商品経済の発展は、自分達の立場を危うくするものである。したがって幕府内には江戸町人達の華美な生活を牽制する雰囲気がいつもあったと見られる。しかし公平な立場から見れば、今日の歴史教科書は大幅に書き換えられる必要があると考えられる。


三大改革を評価するかどうかは、インフレ政策を評価するかどうか、農業側(=地方)を支持するか、商業側(=都市)を支持するかっていう問題なのだな。


寛政の改革を皮肉った狂歌に、
白川の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 黒田恋しき
っていうのがあった。


白川の、通貨の番人としては清い態度のデフレ政策に景気が悪化し通貨高で企業は国内に住めなくなった。リフレ派総裁の就任が恋しいなあという意味である*1