"日米欧半導体戦争の敗戦"って形ですね

ヨーロッパではベルギーのIMEC、アメリカではALBANYという国際研究拠点があり各国企業から何百億単位でお金を集めて研究施設を運営しているのですが、日本は2000年代後半に純血・ガラパゴス思想の産業政策をとってしまい、結果的にこれが失敗した形です。

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ちなみに2000年代の前半にはつくばに各国企業を終結させた研究体を作りかけたのですが、残念ながらそれに理解を示さなかった政治家・経産省の幹部がサムソンやintelIBMといった企業を研究体から事実上追放してしまい、それが響いた形です。純血路線は本当に大失敗で、結果として競争力のある企業の研究拠点がどんどん海外に流出して、負け組が日本に集結するという構図が出来上がってしまいました。2010年ごろに各国企業に頭を下げてなんとか呼び戻そうとしたのですが、時すでに遅しだった感はありましたね。

振り返るに日本の半導体業界は1970年代に勃興し、伝説の超LSI技術研究組合とともに1980年代に大ブレイクをはたして世界を制覇して、米国勢を駆逐して短い栄華を極めました。その要因は「主要な川下メーカーと川上メーカーが国家研究開発プロジェクトを中心に集結して、お互いのニーズや制約を擦り合わせて新たな装置を開発する仕組み」にあったのですが、当時こういった研究はアメリカでは独占禁止法に引っかかるとして事実上禁じられていました。それに気付いたアメリカは日米半導体交渉の場で日本のこういった研究方式を厳しく非難して国家プロジェクトの禁止を求める一方で、自分の国では「sematech」という業界団体を構築してより洗練された形で日本の研究方式を取り入れました。壮絶な二枚舌っぷりだったのですが交渉力で劣る日本はそれで押し切られてしまいました。当時冷戦が終結してアメリカにとって日本の地政学的価値が落ちていましたので好き勝手にやられてしまった形ですね。

「メモリーは産業のコメ」と言われ、NECなんかがインテルのセカンドソースを作ってた時代から、CPUはインテル一人勝ち・メモリーはマイクロンや韓国勢、って時代にはもう負けていた雰囲気。

 大枠で見ると、「米国は、自国内の全体最適を重視して労働者保護・独占禁止を強く運用してきたが、対外競争には不向きとなり、運用を緩くしてきた。そのため、弱い独禁法で利益を得ていた日本が吹き飛んだ」話なのかなあ