さいきんのアレ

共有地の悲劇、を思い出した。

なお、共有地の共有資源が、地域コミュニティの構成員に限って利用できる「ローカル・コモンズ」(里山の入会地など)は、厳密な意味のコモンズではなく、集団が所有する所有地からの収益を構成員に分配する共同事業「擬似コモンズ」であるから、コモンズの悲劇は起こらない。相互利益に配慮された共同事業の歴史的制度が、近代化により崩壊することによって生じる共有資源の荒廃などは、集団内の統制崩壊による事業破綻であるから、コモンズの悲劇とは別の現象である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87

とはいえ、悲劇が起こらず継続されてきた「共有地」は、何らかのアクセス制限があったと類推できるわけで、その制限を実現していた、道徳・風習・社会構造などなどの崩壊こそが、共有地の悲劇の中心なんじゃないかと思ってる。