情報の二つの顔

情報格差が拡大している。一方に良質の情報を選択的に豊かに享受している「情報貴族」階層がおり、他方に良質な情報とジャンクな情報が区別できない「情報難民」階層がいる。その格差は急速に拡大しつつあり、悪くするとある種の「情報の無政府状態」が出現しかねないという予感がする。

http://blog.tatsuru.com/2011/09/16_1350.php

一言で言えば「情報」という日本語自体、インフォーメーションでもインテリジェンスでもありません。
 元々情報の語源は、「あそこに敵がいる」といった程度の内容です。
 情報をインフォーメーションに昇格させるには、斥候を出して人数は何人いて武装は何を持っているかをなどを調べる必要があります。
 インテリジェンスは普段何気なく仕入れたことを記録し・整理し、分析を加えたものです。いつ役に立つかも分かりませんが、意志決定には必要です。

http://q.hatena.ne.jp/1142387672#a501605

小谷賢『日本軍のインテリジェンス』講談社

第二次大戦で、日本軍の暗号の大部分が米軍に解読されていたことはよく知られている。これをもって「日本軍は情報戦に完敗した」とするのが通例だが、日本軍の暗号解読能力については、あまり知られていない。実際には、日本軍の情報部門の暗号解読能力も高く、米軍のもっとも高度な「ストリップ暗号」まで解読していた、と本書はいう。問題は、こうして収集された情報がほとんど戦略決定に生かされなかったことにある。

ここで重要なのは、インフォメーション(データ)とインテリジェンス(情報)の区別だ。前者は、敵がどこで何をしたという類の事実の集積で、それ自体には価値はない。軍事的に重要なのは、作戦上の要請に応じてインフォメーションを分析し、情勢を判断するインテリジェンスである。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/dotpc0705.html


という文章もあるけど、
「情報」という言葉に、InformationとIntelligence、両方の意味が含まれていると考えておこう。
 で、話を面倒にしているのは、内田樹氏いうところの「情報難民」は生データにしか接していない、わけではなく、ジャンクなインテリジェンスを享受していると思われるところ。

私が「情報貴族」と呼んだのは、「自分たちが所有している情報についての情報」を集合的なかたちで形成できる集団のことである。
「情報難民」と呼んだのは、原子化されたせいで、自分が所有している情報を吟味する「公共的な言論の場」から切り離されてしまった人々のことである。

と書かれているように、本人にとっては、そこが「公共的な言論の場」なんだろう。