大学の費用

パリ大学には3000〜5000人、ボローニャ大学には2000人、オクスフォード大学には1500人の学生がいた。学位には学士号と博士号の2段階があり、ボローニャでは学士号を取得する試験の費用は60リーヴル、博士号では500リーヴル以上が必要であった。試験官に様々なプレゼントをしなければならなかったからである。人文学の学士になるには6〜8年、医学は3年、法学は10年近くかかり、最も時間のかかる神学では15年を要することもあった。学部の中では人文学が最も経費がかからず、特に神学部のある大学だと教会から聖職者としての禄(給与)が貰えるチャンスがあった(小額だったようだが)ことから貧乏学生が大勢おしかけた。とはいっても、学生のうち学士になれるのは15〜20人に1人程度であったという。

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教科書は高価であった。この時代の大学には図書館がなかったため、教授・学生は書籍商に規定の料金を払って本を借り、写字職人に筆写させた。例えばボローニャ大学では教授の年収は150〜200リーヴルであったが、1冊の本を筆写するのには挿絵なしでも20〜60リーヴルかかったという。パリ大学のとある神学教授は1人で300冊の本を持っていたといい、金持ちの子弟が多かったボローニャの法学生は勉学を終えて故郷に帰る時には10〜30冊の写本を持っていたというが、大抵の学生はそんな具合にはいかなかったようである。

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教授の年収を、1000万円と仮定すると1リーヴルが5万円。本が100万円〜300万円か。