あれの話

 自分の感情を、どのように(この場合誰に、どのような状況で)励起されるか、というのは自己決定権の範疇。自己決定権を行使する能力の無い人間の決定をどう評価するか、というのは社会による設定*1
 近代的自我は一種の架空である、みたいな話もあるが、というと語弊ありまくりかな。人間の基本的心性を"近代的自我"という枠組みで論ずることは、普遍ではない、というあたりかも。近代的自我を前提とした文化で育った構成員同士の関係だし。

*1:厳密にいうと、無能力者の同意には成立しないので、同意なしと判断する、というのが米国流か