満蒙開拓団の記録映画

 岩波ホールで上映されているらしい。NEWSで紹介されていた。30万人が送られ、8万人が死亡したらしい。これは虐殺にあたるのかどうか気になる*1。さて、証言として、「終戦3ヶ月前に、役場の強い説得で開拓団として満蒙へ渡り、そこで終戦を迎え、他の家族は皆死んだ」というものがあった。「神軍は絶対に負けない。従って、開拓団は絶対に存続する。従って、開拓団を送り出すノルマ*2はこなさなければならない。開拓団を送り出すことに躊躇する人間は、陛下への信心が足りない非国民」みたいなロジックでもあったのかしら。

 

*1:一旦中国側軍隊の制圧下におかれ、それから殺されたのであれば、虐殺と言われるのだろうけど、そういうわけではないのだろう。

*2:この時代にはこの言葉は流行ってはいなかったのだが