メシマズな話

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就労が、単なる時間つぶしではなくて、労働者の実存に関わる問題であるように、料理作成も、作成者の実存に関わる問題なんだ。たぶん。
意に沿わぬ労働に耐えられないひとがいるように、他人の指示で調理することが耐えられない人もいるのだろう。きっと。


じゃがいもを、醤油だしで肉じゃがにしても、細切りにしてラード…はないのでピーナツ油…もないので、サラダ油とゴマ油とニンニクとネギで味をつけてシャッキリ中華風にしても、玉葱とバターとベーコンでほっこり炒めても、オリーブオイルで炒めても、俺の実存は痛まないけど、夫のラーメンを作る為に、台所をちょっと片付け、あらかじめ具財を調整し皿の上においておき、スープは熱湯で溶かして器に入れておき(別の鍋で加熱しておくとベターかもしれないが、洗物が増えるので推奨しない)、茹で上がりをザルで水切りをし、器に入れたら即座に具をのせて出す、みたいな行為が、耐え難い苦痛に感じる人だって、もしかするといるだろうな。土下座が、肉体的苦痛はないけど耐え難いようなものなのだろうな。


ああ、仲間内で集まったとき、味の薄さを指摘されてちょっとムカついた覚えはあった。個人的には、「味は薄めに。不足分はテーブルで調整」がポリシー。