才能と努力は同一ではない

これは才能に関係する以下の状態を、個々が勝手に「才能」として定義して語っているからだと考えている。

1. 才能がある
2. 才能を発揮する(場所がある)
3. 才能を発揮して評価される
4. 発揮した才能で飯が食える
5. 発揮した才能で商業的に(大)成功する

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090421/1240255717

念のため書いておくと、努力(訓練)によって才能(技術)が磨かれる・向上するという話ともまた別。

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090421/1240255717

 自分が考えていることは、全てかかれていた。

 「努力すれば、努力した分、タイムは縮み、極限まで努力をすれば100mを1秒で走れる」式の論理や、
 「現在持っている『才能』を組換え、新たな『才能』を作り出すのも努力のうち」式の論理*1
 が背景にあるのかしら。

*1:自分で書いていて気持ち悪くなった