第2次世界大戦後ヨーロッパ最大の惨劇といわれる「スレブレニツァの虐殺」とは次のような悲劇でした。
オランダ軍を中心とする国連防護部隊(UNPROFOR)は1995年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部の町、スレブレニツァに「安全地帯」を設けて、その周辺地域でセルビア人に襲われていたムスリム人をそこに避難させていました。しかし、軽装備・少人数の国連部隊は武力で勝るセルビア人武装勢力に脅迫され、ムスリム人5千人をセルビア人側に引渡してしまったのです。駆け込み寺に逃げ込んできた人々を、住職が暴力団に脅されて引き渡してしまったようなものです。
ムスリム人はバスやトラックで連行され、山林などで全員虐殺されました。国連防護部隊は、まさに大量虐殺を呼び込んだようなものだったのです。現在でも逃亡中のセルビア人軍司令官、ムラジッチ被告の起訴事実は、この虐殺を指揮・命令したというものです。ジェノサイドの罪、人道に反する罪などに問われているのです。
ここに至ってやっと腰を上げた国連は、セルビア側に停戦を持ちかけましたが、セルビアがこれを拒否したため、NATO軍がボスニアを空爆しました。
この空爆によって力を落としたセルビアは、ボスニアを2分割する和平案に合意(デイトン合意)、ムスリム人、クロアチア人の「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」と、セルビア人による「セルビア人共和国」という2つの自治国家が連携して「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」という主権国家が成立することになりました。
http://www.el-saito.co.jp/cgi-bin/el_cafe/cafe.cgi?no=3056
介入には、重武装が必要、という教訓に思える。ソマリアの、ブラックホークダウン、もそうか。
中途半端に介入するなら、放置のほうが平和的でマシ、とは解釈できない。
人道ではなくて、国際政治というパワーゲームの犠牲、みたいな解釈もあるが、屏風から「政治」を出して貰って、縄をかけることは難しいからな。