"正解のない世界"

 私は専門と大学の2つに行きました。専門ではレポートは枚数も内容も薄く、出す人さえ疎らでした。学が低いと言われれば、その通りなのかもしれません。一方、大学は違った。レポートはTAと仲良くなれば白紙で出しても評価され、お金を出して採点基準を教えてもらう。そういう賢い人が多くいた。そういう世界を見てきて、時々何を信じて良いのか迷うことがある。私自身も汚い事を色々してきた。決して綺麗な人間ではない。だからこそ、余計に何を信じて良いのかが分からなくなる。友達は絶対的? 恋人は絶対的? 家族は絶対的? たまに自殺する人間の方が真面なのかもしれないと考えることがある。あなたは日々、何を考え、何を思い、何を信じて生きていますか?

http://q.hatena.ne.jp/./1211127365

 価値は内在しません。
 レポートの価値を決めるのは誰でしょう。
 筆者でしょうか。TAでしょうか。教授でしょうか。雑誌社でしょうか。やぎさんでしょうか。


 筆者が価値を決めるなら、筆者が自分で決めればいいことです。
 TAが価値を決めるなら、TAとの人間関係が大事でしょう。
 教授が価値を決めるなら、教授の説に沿ったレポートがいいかもです。
 雑誌社に投稿するなら、わりと普遍的に良い*1文章が必要です。
 動物園にもっていくなら、やわらかい紙がヤギさん好みかもしれません。
 一般企業では、アカデミックに良い、オリジナリティー溢れる文章を独力で作成する能力より、誰かにお願いしてなんとかする能力が尊ばれるような気がします*2
 企業によっては、レポートすら必要とされないかもしれません。


 で、解は共同体の、価値観の数だけあるでしょう。
 「正しい」という、価値を内在する解はなく、おそらく、安定な解と不安定な解があるだけだと思います。
 「正しい」解を選べば、正しさを保証してくれた誰か(デカルトさま?)が、苦難にあったときに駆けつけて、留保のない生の肯定を叫んでくれるわけではありません。


 人が、他者となんらかの関係を結び、それに「家族」「恋人」「友達」など名前をつけ、その信用を誰かに担保してもらい、自分は留保の無い関係性の肯定を安価に確保しよう、とするならば、それはリスクのある行為かもと思います。一方、関係性を安定化すべく、リソースを投入することは推奨されるべきかと思います。



 最後に。次の発売日を考え、誰ルートになるのだろうかと思い、EGFの発売を信じて生きています。


 ミナミノマダー?

*1:面倒なので説明しない

*2:ちょっと追加。もちろん、期間内に独力で素晴らしい文章を書ければベストだろう。でも、一人で頑張って、その結果〆切破って低品質なオリジナル作ろうとする意欲は評価されないような気がする