http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080215/147257/?P=1
帝大に合格していれば、偉そうなことを言えるのだが、帝大は受験さえしていない。
すると信憑性が無い話になるが、まあ、信憑性の無い日記なのでいいだろう。
教員の質、質、というけれど、教員の質っていうのがよくわからない。
塾みたいなのに通ってみたり、予備校の授業を聞いてみたりしたけど、なんかどれも大差なかったような気がする。
もっと頭のいい人間だと違うのだろう。
田舎の高校だったせいもあるのかな。
ただ、集まる生徒のモチベーション、というのもあるかもとは思っていた。
当時は、羅漢は読んでいなかったのでうまく表す言葉がなかったけど、
「みんなが勉強していると、勉強しなきゃいけない気になる」
というのは大きかった。
バウチャー制と評価一元化が組み合わさると、モチベーションに溢れる(笑)生徒はちょっとした切っ掛けで、ある学校に集中し、そうなると好循環が発生する。逆は逆になり、そうなると教職員のリソースが、勉学ではなくて治安維持に消費されることになり、悪循環が発生するだろう。だいたい、自分のいた学校では、トップクラスは、授業で教える前に、だいたい内容を把握しているような奴で、そうなると教師の質の良し悪しって何だという話に。
むにゃむにゃ。
個人的には、のんびりした学校で非常に快適だったけど、「学力選抜により、のんびりしていない人間を排除した」「学力選抜により、潜在的にストレスの多い非富裕層を排除し、学校をストレス発散の場所ではなく、ストレスを甘受しつつ勉強の場とすることを受忍できる、それなりの階層を集めた」故の快適さ、といえなくも無い。
どういうのがいいのか、というと難しいけど、
「多くの先生が、一人ひとりの生徒とじっくり向かい合っている」とか、「問題行動を繰り返す生徒たちとトコトンつき合った結果、彼らがみんな、感謝しながら卒業した」
とは関係なかったかな。