これはまぁ、教諭は教諭で、さっさと取り立てるように上から圧力もかかっていたのではないでしょうか。立場上、板挟みになった教諭が苛立って暴言を吐いた、児童に当たり散らしたというのが大まかな構図だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/92e2b445f3609c2c0db78bae437549ec
個別例でいえば、こういうことだし、生徒の前で話す必要はないし、
- 滞納児童の親に、パンフレットを郵送し、必要であれば減免申請をさせる*1
- 金があるんだかないんだか微妙な状態であれば、市役所にでも行ってもらう(お節介?)
- 所得があり、しかも給食費を支払わない場合は、法的措置をとる
で、いいんじゃと思う。まあ、
- 法的措置は、役場が面倒なので、上層部が教員に、「なんとかして」払わせろと強要する
みたいな図があったのかも。
それなのにこの「迷惑」という言葉が自然に出てくるのはなぜでしょうか? それは自分が支払う側であっても、徴収する側の立場でものを考えることが習慣化しているから、そして強制徴収の負担を免れている人がいることに不満を感じるから、他人にも自分と同じ負担を課したいからでしょう。それを正当化するために「迷惑」などという道徳的な非難が出てくるわけです。それは市民の立場ではなく支配する側の立場でものを考え、他人が安楽に暮らせることよりも他人に重荷を負わせることを望み、そうした選択を繰り返すのと同じことです。
一部の地域で、救急車の安易な利用をやめよう、夜間のコンビニ受診を自粛しよう、という、「サービス提供側の立場」で考える、「奴隷根性」みたいなものですね。
このご夫婦の場合、かかりつけの病院に行くには、一時間に何本も走っていないバスを乗り継がないといけないため、頻繁にタクシーを使います。
このように、通院にタクシーを使う場合には、制度上は主治医の判断が必要ですが、このご夫婦に対する主治医の判断は、「いつもタクシーを使わなければいけない状況ではない。バスでも通院できる」というものでした。
ところが、実際には毎日のようにタクシーを使うため、毎月14万円位の請求が、タクシー会社から福祉保健所に回ってきます。
その点を指導すると、かえって、タクシーを利用する頻度が高くなりますし、血圧が高いというので数値を尋ねると、「そんなことは医者に聞け」、「死んだらどうする、一筆かけ」と、ケースワークの担当者に詰め寄るありさまです。
http://daichanzeyo.cocolog-nifty.com/0403/2006/11/post_d1ff.html
こういうのをどうかと思うのは、他人にバス利用という重荷を負わせることを望む根性なのでしょう。
と、冗談はともかく、社会が社会が成立するためには、一定の規範が必要だと思っている。規範からの逸脱には、一定のペナルティーも必要だと考えている。それは、刑法に触れるようなものであれば自由の拘束など重いものであるし、速度違反であれば行政処分に反則金となる。給食費の滞納であれば、公衆の前での指摘はペナルティーとしては重すぎる。芸能人の失言であれば、記者会見で頭を15度くらい下げればいいんじゃないかと思う。軽い逸脱に対して、共同体の敵として、重いペナルティーを課すことには賛成しないが、規範、それも法によらない規範が不要だとも思わない。