南京事件について、それが特筆すべき理由

# 捕虜殺害についての秦郁彦の推定(幕府山のことだけを考えても明らかに過少だけど)を採用したとして、短期間に3万人もの捕虜を殺害したという事例は、近現代の戦争史において特筆に値する。投降してくる兵士を捕虜にせずに殺してしまう、というのはたしかに多くの軍隊に見られる現象だが、武装解除していったん兵舎に収容した捕虜を万の単位で殺害する、などということはそうそうあることではない。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080104/p5

 「投降した兵士」と、「捕虜」を使い分けている点。「捕虜」を殺害すると、虐殺、と形容される。「いったん兵舎に収容した捕虜を万の単位で殺害」があったのね。

# 南京の日本軍は、少なくとも師団レベルで組織的に捕虜を殺害している。上海派遣軍参謀だった長勇が「ヤッチマエ」と命じたという証言が正しいとすれば(そしてこれについては偕行社の戦史も事実だろうと認めている)軍のレベルで収容した捕虜の殺害を組織的に行なったことになる。いずれにしても近現代の戦争史において特筆に値する。

 日本にありがちな、捕虜の収容計画もないところへ、「処理を現場に任せる」ような状態と認識していたが、軍レベルでの指示が存在したのか。南京事件と、ドイツのユダヤ人虐殺の違いは、それが政府レベルで行われたのかどうか、という点にあると考えているが、捕虜の扱いがどのレベルで決定されたのかによって違ってくるか。

# 略奪について。日本軍は仮にも一国の首都だった都市を攻略するのに、最初から物資を「現地調達」するつもりだった。経理部が機能しなかったこととあわせ、まさに軍くるみで略奪を“公式に”おこなったわけだが、これは近現代の戦争史において特筆に値する。特に農村部での非戦闘員の殺害はこの組織的略奪と密接に関連しているが、これについては全体像を描くにはデータが足りなすぎる。

これは有名か。

# 強姦について、ベルリンでの性暴力との対比で。ロシア軍によるベルリンでのレイプは軍上層部の取り締まりにより南京の場合よりずっと短期間で終熄したとされている。また、口封じのために殺害するケースは少なかったともされている。ベルリンでのレイプは長い戦争の最終盤、しかもドイツに攻め込まれて多数の死者を出しつつようやく反撃に性交した戦争の最終盤で発生しているが、南京でのレイプは事実上の戦争開始からわずか半年で起こっている。この点で、南京における日本軍の振る舞いは近現代の戦争史において特筆に値する。さらに、強姦予防のために軍が公式に慰安所をつくった、というのも近現代の戦争史において特筆に値する。

取り締まりの有無で区分されるのね。