ものごとは、意図と行為と結果と、いくつかの視点から評価ができる。
ただ、意図というのは、崇高に思う人がいる(主として当人)反面、他人には理解されづらいものであったりする。相撲部屋のかわいがりとか、空手の頑張らせとか。教師の、特に女児に対する愛情とか。世の中の人は、ビール瓶で殴ったりする人の意図を、当人の発言どおりに汲み取ってくれるとは限らない。
ので、「俺の言及は、崇高な意図なので、[不適切な語句・表現]だが[許容される]べきであり、お前の言及は、意図が邪悪なので[不適切な語句・表現]であるため[許容される]べきではない」と思うのは、もちろん自由だけど、周囲はどちらも、[不適切な語句・表現]を投げ合う仲間に見ているかもよ。