リスクと責任と倫理と善悪

 このへん、切り分けて考えると良さげ。
 例の事件、私は、「青信号を渡っていた歩行者が、信号無視の車に轢かれた」と喩えた。
 もちろん、皆好き勝手に喩えるといいよ。
 まず、リスクということ。日中の昼間、都会の交差点は、運転手の注意レベルは高く、また、平均速度が遅い。従ってリスクは低い。逆に、夜の街道では、その逆でリスクが低い高い。
 次に、責任ということ。運転手は、業務に当って高い注意義務を持っている。歩行者は、そこまで高い義務を持っていない。
 日常言語の善悪は、非常に緩やかな使われ方をしていて、店舗の駐車場から道路に出たところで側突「された」人は、「前を良く見ないあいつが悪い」、側突「した」人は、「飛び出したあいつが悪い」というだろう。正論好きは、「走行中の車が減速していれば事故は起きなかった。減速しなかったのが悪い。どうだ正論だろう」とか、「駐車場から出るときに、もう少し待っていれば事故は起きなかった。飛び出したのが悪い。どうだ正論だろう」というかもしれない。ここで、道交法を持ち出すと、「たとえ、優先道路でも、事故が起きると運転手に面倒なことになる。したがって、リスクを回避するために減速すべきだ。減速しなかったのが悪い。どうだ、正論だろう」と、いくらでも正論が考えられる。
 

最後の例につき、ちょっと追加。

 大体、駐車場やわき道から出た車と、走行車線を走行中の車が衝突した場合、過失相殺は8:2〜7:3くらいだったかな。走行車線の車が優先され、車線に入る車は安全を確認してから全身することになっている。だからといって、走行車線の車も、危険回避義務がある。なので、8:2〜7:3なんだけど、「困るのはあんたなんだから、自重しなかったあんたが悪い」という人間もいるだろうし、「俺の車の横につっこみやがって」と、駐車場から出た車の運転手は叫ぶだろう。
 論理ドミノは、作りたいだけつくれるし、どういう正論を採択するか、というのが我々の責務じゃないかと思う。