創作とか、表現の前に

日本国憲法は、日本国民に対して、権利なんかを設定している。
他人と、公共の福祉に反しない限りは、自由を設定している。
なんらかのメッセージを発する行為は、しかし、他人の心を動かす行為でもある。
他人の心を動かす権利と、心を平穏に保つ権利は、どこかで調節されなければならない、と思う。

調節は、メッセージの送信意図、社会的な意義・影響、そして受信者の感じる感情、なんかを考慮して為されているっぽい。


 で、メッセージの送信の自由は、憲法でおおまかに設定され、禁止条項は、個々の法令で定められている。匂いについていえば、電車内の香水はよくて、コーヒーはマナーで、煙草は規則で、サリンの散布はもっと厳しい法律で制限されている。化学物質に貴賎はないかもしれないけど。同様に、徒歩は制限されないけど、自動車の運転は免許が必要で、車道の真ん中を皆であるくことは、なんかで制限されていたかも。でも、デモは許可を取れば可能であり、可能であるべきだ。喋る自由はあるが、音楽を鳴らす権利は、平穏に暮らす権利と調整されるべきだ、とは思う。
 音量のように、外形的に測定できる要素と違い、作品の内容については、記述が難しい。他人の心を揺り動かす行為が先行し、あとから、意義が設定されることもあるし。それでも、一定以上の不快感を与えるメッセージの公衆配信は、制限が必要と思っている。ただ、ゾーニングで対応できるとは思う。ここで、問題となるのは「風紀の紊乱」で、これについては、あんまし、意義は認めていないのだけど、争点はここになりやすいので、なんとも。