なぜ、という問いは、権力者か超越者の存在が、暗黙の前提となる。

だが、この問いは別様にも解することができる。「100度」と「0度」を端的に温度を指し示す指示句*2として解釈すれば、要するに「水がなぜその温度になると沸騰し、その温度になると凍るのか」という問いを提起していることになる。

この解釈によれば、もはや問題は言語の定義のレベルにはなく、事実に関する問題ということになる。それは科学が扱うべき問題だが、たぶんまだ解明はされていないのだろう。どちらの解釈のほうが筆者の意図に沿ったものなのかは不明だが、寛容の原則に従うなら、後者の解釈をとるほうが妥当だと思われる。

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20070807/1186417554

 コピペしたら飽きたけど、もうちょっと書く。
 たいがいの科学は、どういうメカニズムで、というのを説明するもので、何故、つまり超越者の意思を、責任込みで問うものではないと思う。