リベラルというもの

民主党ネクス法務大臣「え?じゃあ、加害者が死ぬ目にあえばいいんですか?」
民主党ネクス法務大臣「拷問して殺せばそれで気が済むっていうんですかぁ」


被害者の母「息子が死んで犯人が1、2年で出てきてのうのうと暮らしてるのが納得できない」
民主党ネクス法務大臣「死の恐怖を味あわせたい?」
民主党ネクス法務大臣「彼等にも犯罪を冒す事情があったんですよ」
被害者の母「事情って何ですか?」
民主党ネクス法務大臣「そ、それは置いといてですね・・・」(※要約されてます)

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997016.html

 流石リベラル。
 個人の感情のままに動くことは、社会全体にとって必ずしもプラスにはならない。
 だからといって、個人の感情それ自体を否定するのは、怒らせるだけだと思うけど、それがリベラル?
 あ、もしかして、なんかの系の話なのかも。

ちょっと追記。

 個人の感情は、それ自体尊重すべきもので、しかし、それを社会が受容する、受容した上で社会のリソースを投入したり、他者の権利を制限したりする、かどうかは、別問題と考えたほうが、みんな幸せになれるんじゃないかと思っている。その個人の感情を、「理性(のような何か)」の名の下に圧殺しようとするのが左翼(のような何か)、愛国心の名の下に圧殺するのが、右翼(のような何か)、だと思っている。