影響力の問題、湯加減の問題

kanoseさんがアルファな人であるという事実は、やっぱりどうしても、関係あると思う。弱小ブロガーが同じことやってても、私は怒りを感じなかっただろう。アルファな人はそれなりに道徳的に行動すべきなのかどうか、は、また長い話になりそう。

http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070618/p1

 一般的には、影響力と要求される責任、は比例するっぽい。
 たとえば、喩えで話をするとアレなのだけど、私が、○○の△△、と、誹謗中傷を塀に貼るとする。一枚くらい。もちろん、名誉毀損に相当するかも。が、社会が要請する責任は、TVや、新聞で○○の△△、と発表するより小さい筈だ。これまでは、影響力と、行為の外形、そして多分意図、は不可分に近いものだった。ので、大新聞、夕刊紙、週刊誌、壁新聞と、要請される責任と、自覚は、解離が少なめだった。
 と前置き。
 多数のPVを持つブロガーをアルファブロガー、と暫定的に定義しておこう。
 アルファブロガーの言動は、大新聞の言動で、社会、まあ読者集団に影響を与えるため、アルファブロガーが不道徳な行為を行う(RR?)と、社会の倫理水準が低下する。アルファブロガーが、○○キモイ、というと、コミュニティーに○○キモイという価値観が浸透し、コミュニティーから○○キモイ、と思われる。そんな感じはある。
 と、ここで注意が必要なのは、ブログを新聞に喩えた比喩の妥当性だ。
 アルファブロガーのBlogは大新聞、ぼくのサイトは同人誌、私のサイトは個人日記、という比喩は、実はあまり、いや結構、正しくない。どれも、Web大通りの壁に貼ってある、そんなにかわらない壁新聞だ。ただ、アルファブロガーの壁新聞には毎日何万もの観客がつき、個人日記(と本人が思っている)壁新聞は、本人とお友達しか見に来ない。でも、一度「あそこに、おもしろい(他の形容詞略)壁新聞があるぜ」と、だれかが言い出すと、わらわらわらわら人が集まってくる。
 責任の大きさを、実効的な影響力で測るか、外形的な行為で測るか、それとも意図で測るか、難しいというか政治的な合意が求められる。


 あと、アルファブロガーが、○○キモイ、と書くと、○○に該当する人、○○に準拠する人が、まとめて怒りの声をあげ、声を上げた人の人数と、声を聞いた人の人数の差が、「ネットイナゴ」の原因とは思っている。

ちょっと追記

 原因というより、原因となる場合もある、とか、遠因、という言葉の方がいいかな。
 上の記述だと、弱いネットユーザー対、強いブロガーという構図だけど、ほかの人が集まるのを見たユーザーが、掲示板/コメント欄/SBMに集まる現象が通俗的な意味でのネットイナゴで、ある言論に多数のサイトが異を唱える現象は、あまり言及されない。あと、そうやってフレイムが起こることを期待して釣りを行う場合もあって、フレイムに参加したほうがいいのかしないほうがいいのか、いろいろ難しい。