現実主義と、現実追認主義と

理想を語る人間が現実を見ないわけがありません。現実を見て現実の問題を把握しているからこそ、その現実を変化させる案として理想を提示するわけです。(もっとも、その案自体や案に近づく方法に問題があることが往々にしてあるわけですが)

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070606/p1

 行動目標と、到達目標、場合によっては究極目標、の設定をミスると面白くない話、と解釈しておきます。
 究極目標として、全世界の平和、軍備放棄、留保の無い生の肯定、を掲げるのは素晴らしいと思います。
 が、行動(目標)として、サリン製造とか、あさま山荘ピクニックとか、他人のBlogに対してネガティブな記述をすること、を採用することは、適切とは思いません。
 あと、ある人間が到達目標を設定するときに、それが実行困難なゆえに、「理想」というPositiveな価値判断を伴う用語を使用すると、現実遊離競争となって、楽しい運動会の始まりです。より過激な言動を考え付いた人が勝ち。実現性に欠けるけれど、大勢に共有可能な目標を究極目標として設定し、個別に行動目標を調整する。そんな退屈なことをするより、設定した目標を、誰とも共有できないがゆえに、崇高な「理想」と定義し、それに同意しない人間を、哲学者の名前を列挙しながらNegativeな評価をしていくほうが楽しいと思うので、どんどんやってください。見るほうも楽しいと思います。