理想より危険な現実主義

理想論でもキレイゴトでも嘘でも建前でもいいじゃない

以前、「実用的思考停止法、または『現実主義』という名の現状追認主義について」というながーいタイトルの記事を書いたことがあります。さるところで「青臭いキレイゴトの理想論なんて、現実に対して無力であるばかりか、危険ですらある」とかいった(ある意味お決まりの)物言いを目にして、腹が立ったというか呆れかえったというか、とにかくそういう言いグサがまだなくなっていないのだということに驚いて書いたものです。少なくとも私の中では、「キレイゴトの理想論」よりも「現実主義(というか現状追認主義)」の方が、ずっとずっとはるかに「危険」だと思っていますので。

http://blogs.yahoo.co.jp/ohtos/47142827.html

ポルポトの死」

主義を主張する人は、概ね、伝統を廃棄して、何らかの理想郷を造ろうとする。この傾向は、宗教にもその他の様々な運動にも見られる。オーム真理教などもその例であろう。資本主義のアンティ・テーゼとして人気のあった共産・社会主義思想が、世界中で没落したことは、人間のやることには、やはり理想と現実の隔たりが大きいことを示している。

http://buna.yorku.ca/japanese/ajlt/polpot.html

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 そういうとき、東京都知事選挙で、9条改憲に異様な執着を見せる人物が3選した。野党は、「『最善』を選んで『最悪』を招くより、『次善』に集結して政治を変える」(山口二郎の政治時評『週刊金曜日』2007年4月6日号)ことができなかった。深刻な総括と議論が求められる。そして、先週4月13日、国民投票法案が衆議院を通過した。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2007/0416.html