"「もうっ、なにやってるの!」と子どもであった私を怒鳴りつけたのは、他ならぬわが母親だった。"

 例えば、自分に4歳の子どもがいたとする。自分がベランダで洗濯物を干している間に、この子が流しの前に置いた椅子の上に立って、食器洗いをした。でも、子どもの洗い方だから所々汚れが残っていたり洗剤の流し残しがあったりする。包丁はなかったけどガラス製品はあったから、下手したら怪我をしていたかもしれないが、とりあえず何事もなかった。いや、上半身が水はねでひどく濡れてしまっている。まだ春先で水道の水は冷たい。

http://d.hatena.ne.jp/R0yalGala/20070416/1176683725

 究極目標と、到達目標を考える。
 母親の究極目標は、ストレスの解消であろう。とすると、手頃な人間を叱り飛ばすのは、合目的である。ストレス解消により、子が離反するかもしれないが、それはスコープの外。
 もし、あなたが親ならどうすべきか。究極目標は、自分からキチンと食器洗いをする子供を育てること、かもしれない。であれば、最も育てにくいモチベーションを維持すべく、褒める。次にすべきは、最も危険なこと、多分、包丁の有無を確認したかどうかを尋ねることであろう。確認していなければ、それを指導する。大体、一回に覚えられることは一個くらいなので。それを指導したら、親が見本を見せてあげるといいだろう。水はねは、ミクロなことだと思う。
 以前は、昭和初期くらいは、食事や住居の給与が大きな利得となっていて、また、大家族制による兄弟姉妹での技術の伝達、また、母親にしても、大家族制によるストレスの共有が、良くも悪くも行われていたと思うのだけれど、それが崩壊し、母親のストレスが直接に子供に向かうようになったのかな。


 もうちょっと考えると、4歳の子供が食器を洗うのは、母親の気を引くためもあったのかな。わざわざアクションを起こさなければ注意を向けない母親に、こどもに注意を向けろと期待するのは、トートロジーかな。


 と、トートロジーな文章を書いてみました。