必死で生きて、子供に特別リソースを割かないことと、有り余るリソースを自ら消費して、子供にリソースを割かないことは違うと思うの

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061211/115372/

 「何もしないこと。弘子さんたちは片親で、お母さんが家族の生活のために1日中ミシンを踏み続けたのです。その忙しさから、ご飯の時はイワシを焼いたらそれだけ。姉妹で喧嘩をし始めて、仲介はしない。弘子さんたちがどうやって大きくなったかを、お母さんは思い出せなかったそうですよ」


 この話を聞いて僕が感じたのは、小篠さんのお母さんはもちろん育児や教育を放棄したのではなく、子育てということを特別に意識していなかったことだけなのだと。そして小篠さんたち子供たちは、お母さんの生き方や、家族と一緒に積み上げてきた経験を通じて自ら育ったのです。


 「何もしない」の教育は放棄ではなく、親と共に、逆境を克服していく意欲や忍耐力、感性を身につけさせているのです。子供が育つのは、客観的な過程であり、親の主観的な思いではありません。

 親の背中を見て子は育つ、という。
 韓流ドラマを見る背中、パチンコ台に向かう背中を見ると、そういう子が育つだろうし、親が会社で忙しいと、背中を見ずに子は育つと思う。