仕様というか願望と実装の相違について見ないふり。

http://d.hatena.ne.jp/iDES/20061111/1163231125

戸塚も戸塚だが、身体を鍛え直せば精神が治るという安直かつ無責任に戸塚に預けた親も親であるように思う。

 鍛える、という言葉の語源はわからないし、調べるつもりもないけれど、鉄の鍛造に発していそうな気がする。適度なカーボンを含んだFeを熱して叩くと、結晶がいい具合に並んで強度が増す、のかな。10倍叩けば10倍強くなる訳ではなさそう。異なる金属を折りたたんでダマスカス鋼みたくすることもあるし、ステンレスを削ってもいいし、なんでも叩けばいいというものじゃない。熱処理の温度や時間も、素材によって違うし。
 と、そんなわけで、「鍛える」という発想が人間に適用できるのか、あと、鍛える、という願望を実現するための実装が適切なのかどうか、戸塚氏も親も考えたりはしない、のだろうな。戸塚氏も、親も、それまでの「子育て」という実装が、実は仕様を満たしていなかった、という後悔から逃れるために。


 背の高い人低い人がいるように、セロトニンなど神経伝達物質代謝にも個性があって、それは殴ったり蹴ったりしても変わらないと思うんだけど。

 ウチに来るのは、最初は鬱状態の子ばかりですよ。そういった子は、鬱と躁を頻り適す。躁の状態で暴れ回って、鬱の状態で沈み込んでしまう。鬱状態がややよくなってくると、スクールから逃げ出したりします。でも、今回のケースは逃げ出したわけじゃない。おそらく妄想だと思います。薬を飲まされていると、ああいう行動をとることがある。犯人がいるとすれば、精神科医ですよ。精神科医にとっては、薬を売れば売るほど儲かるんですから。

 陰謀論者乙。