退屈の進化論

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 退屈は本来、生物にとってそう悪いことではない筈だ。特に安全で食物も保証されている時、退屈な状況なら寝ればいい。エネルギー消耗を最小化することが出来るので、これは生物としても一見悪くない選択のような気がする。だとすれば、退屈になったら苦痛を感じずに速やかに眠る子どもがもっと沢山いても良い筈なのに、子ども達はお昼寝もしようとせずに退屈だ退屈だと喚き散らす。若い男性も同様で、退屈には強い苦痛が伴う。何故、退屈なのだろうか?

 詳しくないけど、思弁的に答えてみる。
 腹八分目になると、とりあえず空腹という苦痛からは開放される。でも、もっと食べれば養分を蓄積でき、食物が手に入らないときに役立つかもしれない。ナマケモノのように、動かない方向に「進化」した動物もいるし。
 例えば、ある民族は食べられるだけ稼ぐと、あとは退屈を感じず、休む。別の民族は、なにもしないと退屈を感じ、夕方まで働く。どっちが、「進化」しているか価値判断は難しいけれど、戦争になれば、働いて資本を貯めた方が勝つ。そのお金で良質の武器をそろえることができるからだ。もっと言えば、夕方過ぎても果物を磨くような国はもっと強かったし、夜になってもどうすればもっと効率的に働けるかを考える国はもっと強かった。


 と、冗談はともかく、根拠無いけど、人間の体も、ココロも、ダイナミックバランスを取るようになっていて、常にセカイを認識し、知覚し、介入し、動的平衡を保つことに満足を得て、また、他人の表情を知覚し、意図を推察し、自分の行動で他人の意図に影響を与える、ぶっちゃけコフート的な交流を続けることに満足を得るように設計されているんじゃないかな。世界との同調を望まない設計であれば、彼は非同期な人生をおくることになり、それはあんまり効率的じゃないかもしれない。もちろん、ある時点での環境同期が個体の生存に悪影響を及ぼすこともあるだろうし、そういうときには非同期な人間がその先生きのこることになるんじゃないかな。
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