700年の孤独

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文明を著しく後退させた戦争から700年間存在し続けてきた彼女。
普通の人間ですら、歳をとるにしたがって感情に乏しくなっていくのに、
その7倍以上の時間を生きてきた彼女にどれ程の感情が残っているのだろうか。と。
従って、フィアッカの感情的な言葉は、

知性によってシミュレートされ、感情の様なモノとして発せられている

だけなのかもしれない。そんな事を読んだ時から延々と考えておりました。

 彼女が感じている感情は、精神的(以下略)?俺俺??
 という意見はともかく、感情って何だろう。基礎的には、外界の状況に合わせた、体のステータス変化、つまり警戒態勢下では交感神経優位とし、リラックスしているときには副交感神経優位とし、インプットに対するアウトプット、リソース配分を動的にコントロールできれば、それは感情の萌芽なんじゃないかな。それは機械にすら有用な機能だろう。
 ということで、700年の時を過ぎて、感情が乏しくなったように見えても、それは共感の接続を切っているだけで、機能はなくなっていないと思う。いや、そう決めた。人間は、単なるフォンノイマンチューリングマシーンじゃない。ちょっとした事に反応する、心のちいさなクラスター。自分でそれに気づかなくても、それに気づくひとが回りにいる。達哉は…気づくのかなぁ。彼らの表情を変える何かが、自分の中にあることは、聡明な彼女ならやがて気づくだろう。
 いや、「自分で気づかない自分の感情を、他人を鏡として自覚する」シチュエーションって好きなもので。何に感情が反応するかというと…パスタ?牛丼?肉まん?アイス?たいやき??いちごパフェ???


 しかし、700年、感情の磨耗、ということで、1000年巫女を思い出した。古道具屋を始めるフィアッカ様、ロステクで壷自爆なフィアッカ様、それはそれでよいかもしれない。