釣堀:「なぜ人を殺してはいけないか」

http://www.hatena.ne.jp/1124114353

倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。
説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。

 ここでまず考えなければいけないのは、「殺す」という単語について。「殺す」という言葉は、意図を持って何者かを死に至らしめることだ。動物の場合、獲物の死そのものを意図しないため、単に食べる、捕獲する、という言い方が使われる。つまり、「殺す」という単語を使った時点で、倫理宗教法律が出現している。倫理宗教法律を抜きにして、「死」は定義できるが、倫理宗教法律を抜きにして、「殺す」という単語を定義することはできない、と、世界の60億人が否定しても、私は思う。酒酔いでも安全運転でもぶつかった人間は死に至る。それを、「殺す」と表現するかどうかは、倫理宗教法律の範疇だと思う。
 さらに、さらに、設問中に割り切れない表現を残し、しかも、「倫理・宗教・法律を持ち出さず、説明した」人間に対し、その回答の倫理性を問うている。不可能問題、不定解を持つ問題に、ポイントを前提に回答を募集し、回答の不完全性を指摘するのは、みんな楽しそうにやっているけど馴染めない世界。



追記:
議論のグタグタさに釣られた(釣ってしまって申し訳ない)反応を頂いた。
http://oddb.main.jp/addb/index.php?Diary%2F2006-02-15

まずもってこの質問をする相手先が既に間違っている。
この質問の中で、「いけない」と言っているのは誰なんですか?

倫理が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「倫理」に聞け。
宗教が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「宗教」に聞け。
法律が「人を殺してはいけない」と言っているのであれば「法律」に聞け。

いや。「いけない」と言っているのは私だ。

という事であれば「自分で考えろ」。それだけの話でしょう。これは。

 いままで読んだ、この話題の中で最も簡潔で、よく判った文章。この疑問文が迷走する理由は、「殺す」という言葉の不確定性でなくて、主語の不在にあったのか。で、相手の回答に合わせて主語を入れ替えると。長年の問いに一つの回答を得たことはすごい幸せ。