" 人の悪意と悪意の行方"

http://insomniac.g.hatena.ne.jp/aqua39/20060117/p1

* 自分にないもの(かつ自分が欲しいもの)を持っている対象に対する僻みや妬みを陰口・噂話・対象に直接嫌がらせをすることで発散させる。
* 自分のコンプレックス(過去の嫌な体験)を刺激する(無自覚な)対象に対する憎悪・嫌悪

 無くすことができるのか?という断片。


 人間は、元来善である、とか、元来イノセントである、という意見には賛同できないなぁ*1。人間には、倫理的にニュートラルな衝動が沢山あって、社会を形成するにあたってあるものはそれを「善き生物学的本能」と賞賛し、あるものは「野蛮な本能的行動」と批判する*2
 衝動をもたらす原因、平たい言葉でいえば、ストレスを無くすことは出来ない*3。ストレスはあってはならない、あってはならないから対策を立てない、のではなく、我々市民は、ストレスを意識的に、社会化された形で解消することを心がけ、為政者、および管理人は、構成員のストレス発散に意識的でなければならない。さもないと、構成員のストレスは、構成員の弱い部分に発散され、もしくは目立った部分に投射される。逆に、集団を守るためにストレスを特定アジア、じゃなかった特定少数を攻撃することで解消する場合も(よく)あるが、私はこれを支持しない。
 放っておくと、みな蝿声の王、じゃなくて蝿の王を担ぎ出して、祭りを始めちゃうのが、世の常で、そのためには、各個人が十分啓蒙的であり、ストレス解消の原資を保有していなければならず、それが無理ならパンとサーカスしかないんだよな。結局。パン代サーカス代が無くなると、宗教しかなくなって、そして(以下略

*1:上記エントリーが、そう言っているわけではない

*2:あ、それを批判するんじゃないよ。これこそが社会化、ってもんだ

*3:びっくりするほどユートピア、になれば別だが