"国民のコンセンサス"

http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20060120

つまり、午前中に、キーパースンと呼ばれる官僚と会って、生臭い話から分配から平等論にいたるまで議論することになり、言いたいことは言ってきたつもり。省一階のド・トールで。私は患者や当事者だけではなく、うちのヘルパーさんたち60余名の「生存」がかかっているこの制度改悪で、せめてこれ以上安上がりにわたしたちを働かせないで欲しいと直訴した。だが、その官僚は「国民のコンセンサス」がないから、こうなってしまっているんだとかいってため息をつく。そして、私とか私の先生の言っているとおりに世の中なったらどうなるの?と逆に聞かれた。

関連:
http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060121/p1

極論を言えば、僕は「正当性には合意は不要だ」とすら思っている。その正当性とは「留保のない生の肯定」である、と言いたいのであるが、そこでアガンベンの議論が援用できるのでは、と思っている。


 まず、GDPのどれだけを税収にまわすか。そして、その税収のどれだけを福祉にまわすか。そしてそしてさらに、その福祉のうちどれだけを、所定の部署へ配分するか。官僚にできるのは、その部署での微調整であり、大枠の決定こそが「国民のコンセンサス」なんじゃないかな。
 世の中に悲鳴をあげている人は山ほどいて、彼らが団結すれば政治的圧力になるとはおもうけど、結局みんな、ただただバラエティーを視ているんだなこれが。政治的結社に影響力はあるけれど、普段バラエティーをみて、選挙の時には政治バラエティーを視るだけだと、ねぇ。
 で、弱い人は宗教とか主義にとりこまれるという悪循環になるわけなのだが。