"もう「擬似科学」とか「トンデモ」とか言うのは科学のためにやめましょう。"

http://d.hatena.ne.jp/kimagure/20060115

正直、「(正統)科学=善、擬似科学=悪」という区分をする人は、「正しい」病にかかっている気がするけどなあ。自分が「正しい」側に立っていないと気がすまないというか。現実はもっと段階的でファジーなのに。

例えばアリストテレス朱子なんかの(今で言う)自然科学観みたいなものは現代では絶対に受け入れられるものではないけど、だからといって彼らを擬似哲学者とかトンデモ哲学と呼ぶ人は無い。レベルの高低の問題として今も研究されていたりする。

 じゃあ、ヒポクラテスの水準の医療を受けるのか、という質問には、そういうレベルの話ではない、という話になっちゃうんだろうな。厳密な実証型の論理体系、「科学」という看板を、「科学的手続き」なしで使われると「科学」者としては、いろいろ面倒なところがあるんだろう。

 大体、まっとうな科学は、自らのレベルを記すけれど、「疑似科学」や「トンデモ」は、自らの信憑性を記述しないか、100%正しい、と書くし。そう。「正当派科学」(狭い意味での科学)は、その正当性を担保すべく、その手法がライブラリとして存在している。正統派科学は、正統派な実験を用い、正統派な統計処理を行って、正統派な理論を前提に、初めて結論を述べることを許される。正統派な手法で導き出された研究であれば、結果が間違っていても、どの段階で間違っていたのか検証が可能だ。
 そのような手続きを取らない様式は、「正統派科学」とは言えないっぽい。その、科学という手法のライブラリを、どの程度援用するか、で濃淡はつけられると思うけど。


追記:
 有用性の話。「有用な科学」とは、弾丸を命中させ、弾道を計算し、爆撃機を飛ばし、オペレーションリサーチで直援と阻止攻撃と都市爆撃と機雷散布の割合を計算し、ペニシリンを製造し、暗号を作成し解読し、原子爆弾を落とすことができる科学、のことだ。
 他の「有用」が、もしかすると存在しうるのかもしれないが、軍事的に有用な「科学」の前に倒されてきた。軍事的に有用でない「科学」も「文化」も、GPS誘導爆弾と、名前を記すことすら憚られる、ネズミ文化に蹂躙されていくだろう。