リアリティー関連

http://d.hatena.ne.jp/cogni/20051202/p2

 cogni氏を揶揄したように感じられたとしたら、こちらの責任なので謝罪します。

 cogni氏の文章を読んだ時、ネットの片隅で時折おこる、なんとかのファンがなんとかのファンを誹謗し、誹謗することによって自らの結束を固めようとする態度は好きになれず、そういうものを連想した文章でした。この手の論争となると、最終的には「正しさを求めるほうが正しい」のか「正しさをあえて求めないほうが正しい」のか、そんなメタな論争にたどり着いたりするし。「あえて」とか「ネタとして」とか。「氏の文章に触発され、ネットで見かける、政治性を楯に嫌いな作品を誹謗する行動についてコメントを書いた」というのが正確な表記かな。



 さて、なぜ人はフィクションを求めるか、というのは自分も興味あるところで、このへんは大塚史観と動ポモ史観です。近代という物語が機能していた時代は、近代の一部である小説が機能し、科学という物語が機能していた時代は、科学読み物が機能していた。物語が失われたポストモダンな現代、物語を実現できる空間を求めて、RPGファンタジーラノベを求められるようになった。もう、物語は、エロゲヒロインの中にしかないのだ*1