智代アフター

の感想を書こうとしているときに、”ブリコラージュ”の解説を調べたくなった。
で、
http://blog.kansai.com/itupatu/58

車のタイヤを再利用した南アフリカのサンダル(最近、同様のものを「BEAMS」で見かけました。フランスBOSABO製。結構色んなところで作ってるみたいっすね。ケニアとかベトナムとか。)

 今の若いもんはホーチミンサンダルを知らないのか。戦争を知らない子供達*1


参考:インドシナ用語辞典
http://www.indochina-war.com/yougo.htm



そこから、国立民族学博物館のサイトへ。
http://www.minpaku.ac.jp/special/brico/concept.html

民族学者のレヴィ=ストロースは、未開社会特有の思考法にブリコラージュという言葉をあたえました。目的や概念に即して手段を講じる近代科学的なアプローチに対して、未開社会では、ありあわせの道具と材料を元に何かをなしとげようとする。カレーライスをつくろうとして材料を買いそろえるのではなく、冷蔵庫のなかのあり合わせの材料でつくるお総菜のようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。

この展示の目的は、ブリコラージュを糸口にしながら、現代人のかかえるアイデンティティ・クライシスや生きる意味の喪失感に対して、人間性の回復を訴えることにあります。かつて未開社会がかなえてくれた統合的な人間像は、すでに私たちの元にはありません。現代社会は、生きることが同時にその意味の解決をもたらしてくれる社会ではないのです。展示の背景にはひとつの社会イメージがあります。それは、社会の理想にあわせて、個人が無理をしなければならなかったり、リストラをしたりするのではなく、生きる目的をもった個人の、あるがままの個性の集合を前提にした社会。つまり、ブリコラージュな社会への夢です。

 主人公の朋也は、CLANNAD本編では電気工として、インフラ維持に従事する。ところが、智代アフターでは、廃品回収業。単に、芳野祐介を出したくなかっただけかと思っていたが、朋也がやっていることは、ブリコラージュっぽい。パーツをばらし、異物を取り除き、カーボンブラシを交換し、センサーを直結し*2、電気製品を修理していく朋也の姿に人間性の回復をみる。どうみても器用仕事です。
 これから親方にテレビの修理を学ぶらしい。電解コンデンサの寿命と、高圧コイルに注意してね。でも、電気製品がどんどんブラックボックス化していくのは寂しいだろうな。

*1:冗談です。解説はしないけど

*2:実はこの表現は不正確なのだが