ポモ化するコンピューターゲーム

http://d.hatena.ne.jp/hally/20051109#p1

これまでのところ、日本における脱ゲームモデル志向のゲームデザインはとりわけ「数値化可能な結末」を遠ざける方向、つまりコスティキャン流に言い換えるなら、「ゲーム」と「玩具」の境界領域を目指して突き進んできました。近年では「いっそゲームでなくしてしまったほうが面白いのではないか」というようなラディカルな意見さえ散見されるわけですが、思うにこの域に達した脱モデル化こそが、ゲームにおけるポストモダニズムなのではないでしょうか。

そうだとすれば、やがてヴィデオゲームは徹底的に解体し尽くされてしまうかもしれません。そしてその結果もたらされるのはたぶん、古株ゲーマーにはあまり居心地の良くない世界です。

 1:[プレイヤー]が2:[キャラクター]と3:同一化をある[強度]で果たし、4:小さな[イベント]を達成しながら5:大きな[物語]を成就する。それは、ゲーム単体を越えた、6:[コミュニティー]の一部として機能している。
 はあはあ。3行書いたら疲れた。
・物語が面白さを阻害している
のか、
・物語の欠落という制約が、新たな面白さを形成する
のか、興味があるところ。
 リアルにおける物語の消失が、フィクションにおける物語の希求に繋がっている、という態度を取っておく。