「戦時下」のオタク

「戦時下」のおたく

「戦時下」のおたく

 冒頭から飛ばしている。
 手塚治虫的なマンガの表現は、戦時下で成立したものである為、オタク表現は戦争と不可分であるという指摘。
 ほぼ全てのテクノロジーは戦争で進化しているため、テクノロジー(含む表現)と戦争技術との分離は困難ではあるが。透視図法と戦時教育と、現代マンガとのつながりは面白い話ではある。非記号的、リアル志向な背景と体に、記号的な表情の結合、は、おもしろい話題であり、その一つか。
 
 内容としては、新現実やComic新現実の文章であるため、新鮮味は少ない。複数の文章でテーマとなった、忘却の旋律、は聞いたことすら殆ど無いため、眺めたけれども理解はできなかった。南回帰線の話とか。
 結構面白かったのが池上遼一論で、サンクチュアリやHEATのプチ右翼に歓迎されそうな設定について。ちなみに、障壁の中で弱体化した日本人を、障壁の無効化で活性化する話は、いまさら無理だろうと思っている。

 そして、斉藤氏との対談。ある種スポーツマンな斎藤氏と、プロレスラーな大塚氏との対戦姿勢をめぐる対談、というか一方的にやりこまれている感じ。スポーツだから殴らない、スポーツだから避ける、斎藤氏と、相手の攻撃は受け止める、そんで殴り返す、大塚氏では迫力が違うな。ラノベも面白いよね、と第三者視点で感じとり、だからこそラノベを批判しない斎藤氏と、文芸誌とコミック雑誌とで同時に連載をもっていたと豪語し、自らリングに降りる大塚氏との差か。

 と、うって代わって和やかなのが大塚氏と更科氏とササキバラ氏の対談。エロゲについて知らない大塚氏に、更級氏がいろいろ説明し、大塚氏は、おいちゃん分かったよと頷く姿。このツンデレを観賞するのが本書の楽しみなのか。

P382
・全能だけど女の子のことで悩んだりもする僕 : ヘタレマッチョ : ファウスト、ジャンプ系
・無能だけど女の子には優しくできる僕 : サンデー系 : 泣きゲ
この辺の対立軸が面白い。