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おはようございます。

世界から飢餓をなくす方法は、紛争をなくすことです。

事実、エチオピアでは内戦が続いていた間は飢餓に悩ませれていましたが、内戦が終結すると飢餓はなくなり、食糧を輸出する荷まで回復しました。
バックミンスター・フラーが提唱したワールドゲームにおいては世界は、今の日本程度の生活レベルで、150億の人口が支えられるだけの食料とエネルギーがある。と、されています。

世界の軍事費の15%が有効有効に使えられれば、飢餓も、医療も、教育も可能なのだ、と言うことは1980年代から判っていたのですが、今の状況を見ると人類は平和と平等を望んでいないのではないか、と思ってしまいます。

 平和の定義は、民族によって違います。
 アメリカ人は、フセインによる政治を「平和」と思っていないようでした。
 アメリカ人は、中国によるチベットの政治を、「平和」と思っていないようです。
 アメリカ人は、ドーバー海峡を越えた派兵、太平洋を越えた派兵を「平和」のためと思っていたようですし、ベトナム人は、停戦ラインを超えた南下を、「平和」のためと思っていたようでした。
 日本の(ある)新聞社は、平和について別の考え方を持っているようです。

 平和と平等には色々な定義があって、最終的には強制力のやりとりになるようです。

お腹の空き具合で食料を分配するのが平等なのか?仕事の出来高で食料を分配するのが平等なのか?体の大きさで分配するのが平等なのか?一人一人、みな同じ量が平等なのか?持っている株券に応じて分配するのが平等なのか?


 どうみても平等です。
 本当にありがとうございました。




 そういえば、昔、フランスでは水がワインより高い、という記述を見てほんとかよ、と思ったものだ。また、NYではゴミ掃除の担当者のほうが、デスクワークより給与が高いという記事をみて、本当かよ、と思ったものだ。