無気力な生徒という小集団の社会全体から見た意義

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20051002#1128229482

学校の機能を果たしていない場所で、生徒の機能を人間が果たすわけがない。この記事は2000年前後のものらしいですが、1990年代中盤くらいから、「マクドナルドに完全就職」などの揶揄・自嘲が、この手の専門学校に付きまとっていた記憶があります。そういう状況へとインサイドすれば、それは当然中間値や平均値から大きく外れた「底値」を見据えることになるわけです。しかし書き手は底値を強引に社会全体に敷衍している。ここが少し気にかかるところではあります。

・彼らは、収奪を目論む学校という状況の産物である(本当は無気力じゃない)
・彼らは、統計学的な小集団である(いつの時代にも無気力な人間はいた)
・彼らは、未来の日本の前兆であり象徴である(これから、どんどん増えていくぞ)
・彼らには、これまで着地するニッチがコミュニティーの中で与えられていたが、これからは彼らのような、スローワーカーへのパーマネントなジョブが減少していくだろう*1(だから、社会の受け皿整備が急務である)
 など、捉え方はいろいろ考えられるカナ。

参考:まんがの専門学校講師(もしている人)のサイト
http://d.hatena.ne.jp/nagatani/
結構(というかかなり)課題はキツイ。自分なら失踪するな。

*1:なんかカタカナを一杯使ってみたかった。