モヒカンなアーティスト達

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20050921#1127329680

私はもう6年近く、絵描き同士のぬっる〜いコミュニティにどっぷり浸かっているのだが*2(加野瀬さん(id:kanose)には『IRCなんて傷の舐め合いだよ』と言われた)、ネット上の絵描きたちの付き合いってまさしくムラ社会だよなぁ。モヒカン族みたいに殺伐と互いの絵の欠点を指摘しあって、なおかつそれを人格攻撃だと思わないような人々はいるのかしら。匿名掲示板の自作絵晒しスレとかがそれにあたると言えなくもないが、あれは相手が何者かもわからないしなァ。というわけで、俺はモヒカン族だぜっていう絵描きの人がいたらぜひ名乗りを上げてください。


http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/13705175089b70b2e53112487d2fbe4a

  思うけど、巧い絵師が下手な絵師とかと接する時ってどんな気持ちなんだろうか。
 見下しているのか、それとも絵師友達じゃなくてタダの友達として見ているのか、それとも個性的なタッチを真似したいと思ってるのか、ちょっと知りたい気はする。
 俺だと人間性が低いので、もし絵描きで、むちゃくちゃ巧かったら
『俺を見ろ、俺は巧いだろ?』って相手を見下しちゃう気がする。

 それにしても、絵師はどんなにうまくても『自分は下手ですから〜』って謙虚だよなぁ。
 あれは、挨拶の一種なんですかね?


http://d.hatena.ne.jp/REV/20050925#p9

 表現には政治性があって、芸術ではそれは低めだし、文章では高め。芸術の思想や方法論は他人をあまり拘束しないが、文章のそれは、他人を拘束する。文章では、Aか奈留絵、じゃなくて非Aかという排中律が容易に発生し、ゼロサム案件となるが、芸術ではあまりそういうことはない*1。政治性が低ければ、他人事と流せるけれど、政治性が高いゼロサム案件だと放置できない(人もいる)。
 知識ベース、まあ、方法論あたりまでは人格攻撃とならないで会話が成立するかもしれないけれど、フィロソフィーの段階までくると、人格と無縁ではいられないからなぁ。OSの選択や言語の選択やCPUの選択に、人格を賭けている人が一杯いたし。と、案件が排中律ゼロサムだと、殺伐とする話。

*1:宗教芸術でない芸術の発生や、古典芸術でない、抽象芸術の発生、そして商業芸術や複製芸術の発生時にはそういうことも起こった、ような気がする