http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20050925/iniD
つまり作者はこのなつきという人物を、ヒロインとしてではなく対立概念として描いているのだ。早い話が敵キャラ。だから拓海となつきがくっついちゃうと物語は成立しないというわけ。映画のラストが不明瞭なのは、そういう苦し紛れな事情から来ている。
原作のマンガでは高校卒業後、地元で就職を選ぶ拓海は東京に進学するなつきと離別する。これは『木綿のハンカチーフ』なんかに代表される、“都会に旅発つ男を残された女が見送る”という従来っていうか戦後資本主義社会的な物語の典型の真逆だ。
なんでその“アンチ・グローバリズム”とやらが香港資本で映画化されてんだ? といわれるとぐーの音も出ないんだけど。