サラダというかマリネの残り

 アンチョビーペーストで味を加え、それでもまだ酸っぱいのでマヨネーズを投入。潔くないマリネになった*1。(不味い)生ハムを投入しているが、この用途であればソフトサラミかツナ缶が適していると言えよう。
 まほあめでは、自作の料理が重要なアイテムとして扱われている。だけど、八百屋の店頭に並んでいる食材は、単品で陳列できるだけのクオリティーが確保されたものであり、意外と高価なものだ。国産の素材を集めて、包丁で調理した料理と、東アジアの国で作られた、クズ肉とクズ野菜にアミノ酸と油脂と砂糖をどっちゃりいれた料理、どっちが「安くて」「美味しい」かと言われれば、大勢の人は後者だ、というのではなかろうか。ヒロインである三人は、そういう生理的な美味しさに背を向け、コミュニケーションとしての料理を選んでいると思われる。自覚的にコミュニケーションの層を通して互いに接続している彼女達。食事の摂取に対して、評論家的な立場でなく、心の底から美味いと評価することができる主人公は、他者との接続について期待を持ちうる存在に見えたのだろう。

 ・・・やっぱり、他人の料理を心から美味いといえる人間になりたかったものである。

*1:野菜を水洗いし、酢とオイルと塩と胡椒を振るだけで食べるのが潔い食べ方。体調と気合がないと難しい。栄養学的に優れているわけでもない