コメント欄

 ぼく個人にかんしていうなら、コメントはたくさんついていたほうが嬉しいです。というか、ぼくはコメントがなくなったらブログをやめると思います。なにかしらの反応が返ってくるからやる気が持続できるのであって、発言することじたいが目的であるわけではない。

 たしかにコメント欄をひらいているかぎり、気の滅入るネガティヴコメントが書き込まれる可能性はつねにあります。ただ、ぼくはそれでもコメントがあったほうがいいと選択したということですね。善悪の問題ではなく、意志の問題です。--http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060428/p1

使えない記号@?B

で、もし分類に記号を使ったらどういう順番になるのか、使える記号、使えない記号があるのか、と適当に調べてみたら、こんな感じになりました。

半角スペース>!>">#>$>&>'>*>+>->半角数字>;>[<]>[>]>@>半角アルファベット>全角スペース>全角ひらがな>全角カタカナ>全角漢字>全角数字>全角アルファベット

[:][|][=][~][?]は使えない模様。

順番はおそらく文字コードの順番なんでしょう。--http://d.hatena.ne.jp/hejihogu/20060501/p2

"「知られざるライトノベルの名作」を教えてください。"

 名作とまでは言わないけど 飛田甲『幽霊には微笑を、生者には花束を』 今田隆文『Astral』 坂入慎一『シャープ・エッジ』 池端亮『みんなの賞金稼ぎ』 もなかなか良質。つーか、作品系統が二極化しすぎだ私。あとは 長谷敏司『戦略拠点32098 楽園』 くらい……かな? 思い出せるのは。

 あ、作者がメジャーになったんで無意識に外してたけど 橋本紡『毛布おばけと金曜日の階段』 も隠れた名作だった。

 「吉本ばなな」が新文学作家とか呼ばれていた頃の作品にハマった経験のある人は高確率で転ぶのではないかと。 

http://d.hatena.ne.jp/aoiro-0/20060430#p3

スニーカー大賞の賞金が300万円〜高騰するライトノベル新人賞の賞金

http://d.hatena.ne.jp/giolum/20060501#1146413765

 ただの小説には興味ありません。SF、ファンタジー、学園モノを書いたらスニーカー大賞に応募しなさい。以上。

ザ・スニーカー2006/6月号246ページ

あなたとわたしのインピーダンスマッチング

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20060430#1146347783

* 主人公:ツンデレ/ヒロイン:ツンデレ
o なにかと衝突してすれ違うけど困難を乗り越えて愛情を深め合うパターン。
* 主人公:素直クール/ヒロイン:素直クール
o 単体だと異様に順調に事が進むので、外在する困難を協力して乗り越えて愛情を深め合うパターン。

 SOS団は、うまいぐあいにPositiveだかNegativeだかのFeedbackをかけて、いい具合に発振している雰囲気。ムーナスみたいに、distortionかかっちゃうのもそれはそれで。

"論点の共有ができない奴と何かを議論するのはしんどい"

http://luxin.blackcats.jp/diary/200604c.html#d04290

論点・争点の共有ができない奴と何かを議論するのはしんどい。というか時間の無駄。

とことん話が噛み合わない「議論もどき」の大元はコレである。論点の共有ができない連中は、意外なほど平気で「東京は関東に含めるべき」と「東京の名産はひよこ」の何れが正しいかについて延々議論してたりする。いやホントに。そしてすれ違いに気づかないまま最後には相互罵倒。ありがち。

 いやほら、みんなツンデレだから。
 ネット議論であれば、もうコメント欄を閉鎖してお互いBlogに長文を書いて、有益なら参考にし、あまりにも論点が違う場合は尊敬しながら無視する、というのが便利だと思うんだけど。みんな、バターになりたがっているからな。


おまけ。ブクマタグにみる議論のテクニック
# なぜころ問答:「何故東京は関東に含めるべきなのか」「倫理と歴史と法制度を参照せずに答えてください」→バターに。罵倒で応答されたら、安い魚ですね、と答えてあげましょう。→溶かしバターに。


# クリリンのことかーッ:「東京を関東に含めないのは、○○にすむ私への挑戦ですね(意訳)」と、一般論を個別論、というか話者のプライドへの挑戦と曲解する。「そうです」と答えるとバターに。


# 仮想敵の捏造と撃破:「東京を関東に含めないのは、ウヨのシンタローのやり口である!!」と、そこにいるグループの共通の敵を誇張を交えて攻撃する。シンタローのファンが聞きつける→バターに。


# 排中律付二元論:世の中の殆どのものは程度問題、量的問題だと思うのだが、それを二分して考える。これを上手に使うと、49%が白になり、51%が黒になる。そして、49%の白が、51%の黒を罵倒する→バターに。


# 言葉の再定義:「本当の東京とは」と、再定義を始める。次に、メンバーそれぞれが再定義を始める。排中律付二元論との絡みもあり、バターに。


# 車輪の再発明:「そもそも東京とは」→チーズに。


# ツンデレ:「東北は…」と、比較対象となる事例を出す。ここで、「その展開は、…を貶めるためのものか」という反論は、ツンデレさんの思う壺です。「決して、…のことを、バカにしたわけじゃないんだからねっ!」という再反論が待っています。最近もあちこちで、ツンデレさんのコメント欄が賑わっていました。


 こういう展開に、議論手法そのものの指摘を受けた場合、「陰湿ブックマーク空間」「卑怯者」「自己実現を求めるワナビ」などのコメントで答えましょう。チーズフォンデュがつくれるかも。

感想の感想

http://gmk.9bit.org/note/20060501-downer.htm

退屈な日常を忌避できるのは、これからも日常が続くと保証されている人だけの特権だよなぁ……

今、自分がここにいて日常生活を送っているという事実の方だが、そこに本人が目を向けたらこの物語はどうなってしまうのやら

 大学へ進学し(しなくても)、社会へでるということは、通常ラノベでは想定されていないからなぁ。フィクションを消費すること、の意義はそのうち考える。