創作の中の小道具:カメラの話

http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060419/p1

 半月の話を思い出した。
 半月では主人公が父親譲りのカメラを使う。文中から、フルマニュアルの、F1とかF2とか、FMなんとかあたりの機種が想像されたが、裏表紙のイラストがEOS-なんたらっぽかったのでちょっとアレ。半月は、ツンデレキャラを観賞する話なので、カメラという小道具を用いて父親、父親的なものからの継承うんたらということはまあオマケなんだろうけど。作者か編集者、カメラ描かせるなら写真かしてあげれば、と思った。

 個人的には、「リボルバーに8発目の弾丸はないよ」「水戸黄門には短筒までだよ」派なので、「リボルバーで100連発がカッコいいよ」「水戸黄門に機関銃がでたら笑えるよ」派の古い友人とは論争になったものだ。
 もうちょっと追記すると、「カメラの切り替わりでリロードしてるはず」派で、「必殺ならガトリングガンもありだね」派。

 もうちょっと追記すると、「時代劇は、歴史ドラマと伝奇ドラマの間だよね」派。

なんとか科学

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%8B%A0%E3%81%AB%E5%9F%BA%E3%81%A5%E3%81%84%E3%81%9F%E5%8C%BB%E7%99%82

すなわち、EBMに言う最も有効な「根拠」とは、実際の臨床試験による最終成績の改善、という証拠のことである。何らかの結果を説明するための単なる「理由づけ」や、実験室での結果・単なる症例報告、といった程度のものは、EBMにおける「根拠」としては、はるかに低い位置にランクされる。臨床実験は、適切に症例を集め、適切にデザインをし、適切に運用したものであることが求められ、通常は無作為二重盲検法が、信頼性、客観性のある手法として求められる。

 なんとか科学といわれる何か、に関しては、エビデンスレベルどのくらい?って聞けばいいわけです。科学的な断片を繋ぎあわせれば、それっぽい理論が作成できますが、それが正しいかどうかは実証が必要です。
 細胞に高濃度で何かを振り掛ける→効果があった。これが個体レベルで有効かどうかは、「無作為二重盲検法」とか必要です。また、「3た治療法」「飲んだ治った効いた」、では、よくある「風邪をひいた、ゲームをやった、治った、風邪にはゲームが効く」、こういう可能性を排除できないので、やっぱり「無作為二重盲検法」が必要です。
 ということで、トンデモ科学とか、擬似科学という言い方が嫌いな場合は、サメの軟骨でも齧ってください結論の信頼性を定量的に評価してみればいいのではないでしょうか。
 っていうか、本当のサイエンティストは論文の信憑性などちょっとみればわかる筈で、医療の分野は

権威がものをいう例としては「この治療法はこの病院で100例以上の実績があって良好な成績を収めた」、「有名人の誰それがこのダイエット法で10kg痩せた」といった判断がある。また、生理学的判断の例としては、「緑茶は実験室にて抗菌作用や抗酸化作用が示されたため健康に良い」「カルシウムを多く含む食品を多く食べることで骨が丈夫になり骨折のリスクが減らせる」といったものがある。この程度の「理由付け」による価値判断は、マスコミや一般向けウェブサイトに溢れている。

こういう状況だったというか。

「ライトノベルをもっと売りたい話」

http://d.hatena.ne.jp/r-motomura/20060421/p1
 市から、ショッピングセンター内の書店が消え(ホームセンターも)、もう一つの書店からも、電撃新刊が入らなくなってきた*1。ちょっぴり遅くても、なるべく地元で買おうと思っていたのに、入荷すらしないタイトルも多いし。棚は3列(3段ではない)あり、結構古いタイトルを並べていたりして、それなりにわかっている店員の仕業だとおもうのだけど。Dearとか新旧デザインの表紙で並んでいるところがちょっと物悲しい。ダブルブリッドが、シャナやハルヒと並んで平積みなのもなんというか。くるまでほんの60kmも走れば(各駅停車で一時間半も電車に乗れば)県庁所在地の大書店や専門店があるのだけど、そこまでみな足を運ぶとも思えないし。
 ライトノベルというジャンル自体を消費すること、のブームが去り、どこも棚を縮小気味。店員レベルでなんとか出来る部分って少ないかな。
 ライトノベルは雑誌である、みたいなことが「超」入門、に書かれていたけど、確かにラノベ既刊はバックナンバーみたいなもので、「新刊」と「アニメ化既刊」以外は動き少なそう…

*1:電撃組から外れた?

ライトノベル格差社会

http://novel.no-blog.jp/minkan/2006/04/post_7543.html

売れる店と売れない店がはっきり分かれる、それがライトノベルという商材の特徴。
(中略)
 新刊が無い店にお客様がつくはずものなく、人はますます売れる店に流れ、売れる店と売れない店の差は広がり、以下循環。
 かくしてライトノベルに関して書店は二極化し「ライトノベル格差社会」が誕生します。

 

ハルヒ考察 2003年

http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20060420/p1

ハルヒの求めたのはSOW
http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200307.html#12_2

涼宮ハルヒの求めているものを一言で要約すると、「センス・オブ・ワンダー」になるわけで。SOS団というのも、あれは実のところSOW団なのかもしれない(今になって、ようやくそのことに気付いた)。

SOS団の皆に溺愛されてるハルヒ
http://homepage1.nifty.com/fluorit/fss.html#14

ハルヒSOS団の皆に溺愛されてるのは,ひとえに彼女が部室を作った人間であるからに他ならない.

 自己実現の困難さ、部室によるコミュニケーション、などなど。
 キャラクターフィクションを享受すること、そういうメタな視点が一つのテーマだったと思っている。同時期の、もう一つの作品、ドクロちゃんは、すっかりベタになっちゃったけど。

"六ヶ所の核再処理工場の稼動に反対するネットワーカーの賛同者が、いまひとつふえない。"

http://blog.drecom.jp/tactac/archive/643#BlogEntryExtend

六ヶ所の核再処理工場の稼動に反対するネットワーカーの賛同者が、いまひとつふえない。あたまうち。
なので、Nobuo Kasai 氏の きのうの文章を一部転載。

「再処理」を知っていても、大量の放射性ガスを大気に放出したり、廃液を海に垂れ流しにするということを知らない人がまだまだたくさんいます。

 保留。引用の内容についてコメントも避ける。ただ、こういう運動があることを、日記の片隅にかいておく。