何を以って、彼らを叩くのか

 トリアージ批判の記事を読む。
 デカルトだかフーコーだかデリダの書影を見た。
 ACLSガイドブックとかではない。
 俺たちも蘇生手伝うから、トリアージなんてやめて、みんな救おうぜ、という提言なら同意するのだが、事故が起こったらデカルトだかフーコーだかデリダの洋書を抱えてやってきて、葛藤の有無や向き合う姿勢を論評し、ホロコーストとの関連を指摘するのだろうか。
 トリアージを実行せざるを得ない、現在の医療体制や、事故管理体制を批判するのもいいだろう。で、事故が発生したときに体制が充分で無かった場合、どうするのか、そこもコメントしておいてほしい。最終的に、我々市民が、どういう政体をつくるのか、そのモデルがあって、モデルとの差異に批判の余地があるのではないか。で、奇妙なモデルに批判の資格はないような気がする。我々は、現代社会で生きていて、ナチス的なもの、大日本帝国的なもの、全体主義植民地主義、そういうものから完全に自由になることは難しい。ホロコーストを避けようとして、キリングフィールドや文化大革命では仕方が無い気もするが、生命は比較不能なので、それはそれでいいのだろう。 


 鉄道会社批判の記事を読む。
 地下鉄24時間運行希望の話が昔あった。
 サービス水準が、欲求に合致しないので批判が必要という話。
 陰謀論を唱えているが、ファストフードも、有機野菜も、学校教育も意図的な水準低下だと考えているらしい。