認知は、客観と主観の二項対立で行なうべきでないとおもうのだけど、みんなプロレス好きだしもっとやれ。

客観に見せかける主観

http://fragments.g.hatena.ne.jp/keijis/20061104/p1
という記事で、

 これは別に難しい話でもなく、実際いろいろな点で「客観」と思われていたものが、実はかなり主観的なことが結構多いのです。

という結論があった。
こういう問題は、
「観測・認知・分類・評価といった各段階でバイアス*1が混入するため、我々はそのバイアスを減らす、そして認識しやすくするべく、頑張れればいいな」
と考えているのだけれど、
「客観だ!」
「いや主観だ!」
「主観でないから客観だ!」
「客観でないから主観だ!」
「世の中には客観などありえない!」
と、みんな楽しそう。


そういうものを減らすために、この調査は、こういうプロセスで、こういう判定基準で行ないました、と提示すればいいんだろうけど。その提示を抜きにして、「客観的」を前面に出すのは、わざとなんだろうな。



えーと、風邪薬の誤謬、というのがあって、
Q:「ある薬品Aを風邪のため病院に来院した患者100人に飲ませた。7日後に調査したところ、90人は治癒していた。この薬は著効するといれるのか」
A:風邪は放置しても一週間ぐらいで治るので、未投与群と比べないとわからない。


もっと簡単には、DHMO、パンの誤謬、があって
アメリカでは、犯罪者のほぼ100%が、犯行一週間以内にパン/DHMOを摂取している」みたいなあれ。


アンケートも、実施方法によって結果は変わるし。
街頭アンケートと、ネットアンケートで、結果は大きくかわる、とか。
漠然とした言葉を使った場合、その解釈には余地を残すし。
「仲良くしたほうがいい」
「なかよくしないほうがいい」
とか。


でも、結果がどうでようと、サイレントマジョリティーを考慮にいれればOK。
ふー、びっくりした。

*1:バイアス、という言葉は、あまり流通していない。リテラシーを「学力」「能力」で十分、と考えたり、 http://b.hatena.ne.jp/REV/20061030#bookmark-3117081 エントリーという言葉より「記事」が適切、と考える人なら http://d.hatena.ne.jp/REV/20060909#p4 もっといい単語を見つけられるかも。