"テクノロジーは幸福をもたらすか"

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20051206207.html

こんな世界に住みたいだろうか? 本当に? 私はサンフランシスコ湾の近くに住んでいる。こういった問題をあれこれ考えると、帆船の帆布と、マストを支えるシュラウド(横静索)を吹き抜ける風が恋しくなる。

寝言は寝て言え。
よし。アメリカの白人は、19世紀の豊かな生活を営め。帆船と、小さな店と、馬車の世界だ。
そうしたら、前から住んでいた人たちに、20世紀のテクノロジーを分けてあげよう。
機関銃と、鉄条網と、戦車と無線機と。

テクノロジーアメリカ大陸を蹂躙した民族が、テクノロジーはおなか一杯、というのは腹が立つ。幸せはどこかにある。機能不全な宗教でなく、失墜した科学でなく、この夢をなんとか維持しているのがテクノロジーじゃないか。

テクノロジーのせいで、以前は必要ですらなかったものに支配され、いつの間にかそれなしでは生きられなくなってしまっている。そういったものを手に入れる金を稼ごうとして、あなたは狭い仕切りのなかで朽ちてゆく――本来なら、緑の野を散策したり、愛しい人を口説いたり、歌を作ったりすべきはずの時間に。

19世紀の日本で、こんな人間がどれだけいたのか。

ムキームキームキー

都会でカネを稼いで物価の安い田舎で使って、嗜好品はでも都会で買う、エコロジストも大嫌いだ。田舎礼賛するなら、田舎で稼ぎやがれ。畜生。そんなロマンチストなら、Wintelを使わずに、Apple][ に音響カプラでも繋いで、ロマンチックにゆっくり仕事をしやがれ。